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結婚相談所探し 『婚カツ屋』という変わった名前の結婚相談所

2019.04.17 22:04


『ネットでお相手を探して気に入れば、即アプローチ! あなたのペースで空いた時間に素敵なお相手を探せます。低価格で婚カツをはじめたいならネット婚! ネット婚はあなたの未来を応援します』

『専属のアドバイザーが親身になってあなたの婚カツをサポート。ハッピーマリッジは素晴らしい出会いをあなたにお届けすることをお約束します』

 高田聡と別れて三年。三十歳までには結婚したいと思っていたけど厳しくなってきた。月日が経つのは早いとつくづく思う。

 2018年3月14日(水)
 郵送で取り寄せた十社の結婚相談所の資料をフローリングの床に広げてため息をついた。サービスや価格の違いを見てもわからない。結局決めたのは勤め先と同じ駅にある二社だった。どちらも三日後の土曜日にアポイントをとることが出来た。

 そして、もう一社。
 自宅から一駅の所にあるので、ここも候補にあげた。
『大手の結婚相談所には出来ない個人経営ならではのきめ細かなサービス。所長自ら親身になって、あなたに合ったお相手を探します。それが婚カツ屋の魅力です』
 他に比べると詳しい説明はなく、資料も白黒で見劣りするけど、それが逆に気に入った。
 仲人のような年配の女性が親身になって婚カツを応援してくれるのではないだろうか。規模は小さくても、アットホームな雰囲気で安心出来ると期待した。ここも候補に加えることにして電話してみることにした。連絡先電話番号がここだけ携帯の番号になっていた。

『ツルルルル、ツルルルル、ツルルルル』
 呼び出し音が鳴り続ける。電話を切ろうかとした、その時だった。
「もしもし、婚カツ屋」
 年配の優しい女性の声を期待していたけど、受話器の向こうから聞こえてきたのは、ドスのきいた低い男性の声だった。婚カツ屋と名乗ったので間違えたわけではなさそうだ。
「もしもし、お忙しいところ申し訳ありません」わたしは丁寧に頭を下げていた。
「なに?」
「えっ、いや、あの、婚カツ屋さん、ですよね」
「そうだけど、だから、なに?」
「えっ、えっと、だ、だからですね」
 男性の態度に少しパニックになった。胸に手を当ててから続けた。
「婚カツの相談にのっていただきたくお電話させていただきました。一度、システムについて詳しく知りたいので、事務所にお伺いさせていただいてよろしいですか」
「いいけど」
「ありがとうございます。それでは、十七日の土曜日午後三時頃は、ご都合はよろしいですか」
「うーん、いつ来てもらってもいいわ。そっちが来た時、こっちの都合が悪けりゃ、断るから」
「えっ」一瞬言葉を失ったけど「あっ、はい、わかりました。では、行くと決まったら、前もってお電話はさせていただきます」
「場所わかる?」
「はい、調べておきました。駅前の商店街を抜けて焼鳥屋さんのある建物の三階ですよね」
「そう、よく調べたねぇー。偉いなー」
「あっ、はい。それでは、お伺いする時はお電話させていただきます」
「わかった。待ってるわ」すぐに電話が切れた。

 切れた後、電話を睨んでいた。「何よ、あの態度」電話に向かって呟いた。電話の男が所長なんだろうか。やっぱりここはやめておこう。

 三年前の今日、聡と別れていなければ、今ごろは聡と結婚して、母親になって子供を抱いていたかもしれないのに。あの日のことが今でも夢に出てくる。

 2015年3月14日(土)
 土曜日だったけど、マンションで一人過ごしていた。聡から電話がかかってきた。今からマンションに来ると言う。ホワイトデーだから連絡があるかもしれないと思っていたけれど、結婚を考えはじめてから、わたしのせいで二人に溝ができてしまっていた。電話では、わかったと言った。
 電話を切って五分位でチャイムが鳴った。近く待て来てたのかとため息が出た。玄関まで行ってドアの前に立った。今日で終わるような予感がした。フゥーと息を吐いてから、鍵をカチャリとゆっくり縦にした。ドアがゆっくりと開いて、聡の顔が見えた。
「おっ、久しぶりだな。あがるぞ」聡は明るく振る舞うが、それはいつもの聡とは違った。
「急にどうしたの」聡に目を合わさずに訊いた。
「どうしたのって、今日はホワイトデーだぞ。ほら」聡はきれいに包装されリボンのついた細長い箱をわたしの胸の前につき出した。「ネックレスだ、きっと似合う」そう言っていつもの場所に腰をおろした。わたしはいつもの場所とは違う聡の前に座った。
「ありがとう」表情を変えず小さな声で目を合わさないようにした。受け取ったプレゼントをぽいっと投げるようにテーブルに置いた。なぜ、こんな態度になったのかわからない。
 少し沈黙があった。聡の手が拳を握っているのが見えた。俯いて少し体が震えていた。
 聡の深いため息が聞こえた。「もっと嬉しそうにしろよ」温厚な聡にしてはめずらしく声を荒らげた。
「ありがとうって言った」わたしは言葉にトゲをつけた。
「お前、最近変だぞ」聡の眉間に深い皺が入った。これまで、見せたことのない表情だった。
「フン」わたしは顔を背けた。
「こんな状態で結婚しても、絶対うまくいかない」聡はテーブルを手のひらでバーンと叩いた。きれいに包装された箱がビックリしたように跳ねた。
「……」お互いにらみ合い目をそらさなかった。時計の音だけがカチカチ、カチカチと鳴っていた。
「わかった。もういい」聡はそう言ってテーブルに置いたままのきれいに包装された箱を自分の鞄に押し込んだ。
「……」
「最近、お前といると疲れるわ」
 その一言でわたしの中で何かが崩れていった。やっぱり別れるしかない。
「わかった。それじゃ、別れましょ」それが本心なのかどうかわからなかった。
「えっ……本気か」聡の表情が青ざめたのがわかった。
「うん、別れる。その方がいいと思う」きっと聡は結婚したいと思っていない、無理している。
「違う、カッとなってしまった。ごめん」聡が正座して頭を下げた。
「聡が悪いわけじゃないよ」涙が出て止まらなくなった。
「どうして?」
「わかんない」
「千崎さんのことが原因か」
「……」首を横に振った。
「違うのか。千崎さんには連絡してるのか」
「……」
「どうなんだ」
「涼子のことは言わないで」ポタポタと涙が落ちた。
「俺は早苗と別れたくない。結婚するつもりだ」
「うそ、……」
「俺のこと嫌いになったのか」
「わからない」
「俺はどうしたらいいんだ」聡は顔を歪ませていた。
 その後、少し冷静になってから話し合った。別れるのでなく冷却期間を置くということで、しばらく距離をおくことにした。

 高田聡は、職場の先輩の宮西美江さんが紹介してくれた。聡と宮西さんが知り合ったのは聡が大学生の時だった。聡がバイトしていたラーメン屋の店長の妹が宮西さんだった。店長が聡のことを気に入って妹に紹介したそうだ。二人は恋愛には至らず気の合う友人になったようだ。宮西さんは頭が良くて職場でもリーダー的な存在だった。聡は優しい性格で優柔不断なところがあったので宮西さんの方がわたしより合っていたんじゃないかと思うことがあった。

 

 2018年3月17日(土)
『ハッピーマリッジ相談所』の事務所を出てエレベーターに乗り込んでから、ため息をついた。午前中に訪問した『ネット婚』も今説明を訊いた『ハッピーマリッジ相談所』もよくわからなかった。どちらの結婚相談所も丁寧に説明してくれたがパンフレットを読んでわかっていた内容ばかりだった。
 高いお金を支払って、相手が見つからなかったらバカらしいし、かといって、お金をしぶって、アプローチも出来ないまま見つからなかったら嫌だし、どうしたらいいんだろうか。

 あと残りは『婚カツ屋』だけ。ここはあまり期待していない。アポイントもしっかりとはとれていない。電話では、いつでもいいので好きな時に来てくれ、こっちの都合が悪かったら、その時はあきらめてくれと言われた。なんといいかげんなんだろう。情報もほとんどないし、電話で訊いても忙しいから来た時に話すと言うし、話し方も横柄な感じがして、少しイラッとした。最初の二社、どちらかで決めたかったが、しかたない。とりあえず『婚カツ屋』に電話してみようとスマホを手にした。
 呼び出し音が何度も鳴っているが、前と同じでなかなか出ない。今日もあきらめて切ろうとした時に男性の声がした。
「はい、婚カツ屋」昨日と同じ男性の声だった。
「あ、あのー、すいません。き、先日、お電話した榊原です。今からお伺いしてもよろしいでしょうか」少し慌ててしまった。
「えっ、先日電話?」
「あっ、はいそうです。今週の水曜日お電話でお伺いしたいと連絡したんですが……」
「うーーん」その後の言葉がなかった。
 電話のことを忘れているのだろうか。
「ご都合が悪ければ、日を改めますので……」
「今から?」話の途中でかぶせてきた。
「あっ、は、はい」
「うーん、まぁ、いいわ。どれくらいで来れるの」
「どれくらい? 時間ですか」
「そう。時間に決まってるだろ。何時に来れる?」
「えっと、今から三十分くらいで行けると思いますので三時半くらいに訪問させていただきます」
「三十分待ちかぁ……」しばらく沈黙があってから「まぁ、いいわ。待ってやるわ」
 今日も少しイラッときた。
「それでは、今から、そちらへ向かいます」
「場所わかる?」
「あっ、はい。先日も電話で確認しましたので大丈夫だと思います」
「思います? ほんと大丈夫か」
「大丈夫です」きっぱりと言ってから、短く息を吐いて続けた。「駅前の商店街をぬけたところにある焼鳥屋の入ったビルの三階でしたよね」
「そうだ。焼鳥屋の名前が『焼鳥屋さち』だ。それと『さち』の隣に今日開店したラーメン屋がある。店頭に開店祝いの花が飾ってあるから、まぁ、バカじゃなかったらすぐにわかると思うわ。『さち』の左手にビルの入口があるから、そこから入ってエレベーターで三階だ」
「またまた、イラッときた」電話を切ってから、大きく息を吐いて苛立ちを吐き出した。今からこの苛立たせる男に会って平然といれるのか不安になった。
 『婚カツ屋』の最寄り駅は、今日訪問した三社の結婚相談所の中では自宅から一番近い駅にあるけれど、職場と反対方向だったので、行く機会はこれまでにほとんどなかった。土地勘がないのが少し不安だったけど、駅に着けばわかるだろうと電車に乗り込んだ。
 座席は空いていたけど座らないで電車のドアの前に立ち外の景色を眺めていた。毎日通勤する電車だけど、ラッシュでない時間に乗って流れる景色をゆっくり眺めるのは久しぶりだ。オフィス街から住宅街へと景色が変わっていく。遠くにお城が見え、川を渡って聡のマンションが見えてきた。1DKの散らかった部屋をため息をつきながら掃除したことを思い出した。着替えはベッドの上に脱ぎっぱなしで、それを片付けてから掃除機をかけた。料理は聡の方が上手だったので、夕食は聡がよく作ってくれた。特に聡の作ったラーメンが大好きだった。あの頃が楽しく幸せだった。今もあの部屋に住んでいるのだろうかと五階の右から二番目の部屋に視線をやった。あれから三年が経っている。結婚して別の場所で幸せに暮らしているのかもしれないと思うと胸が苦しくなった。聡のマンションが遠ざかっていって、視界から消えた。
「三年なんてあっという間」そう呟いて、バックからスマホを取り出し、これから向かう駅周辺の地図を検索してみた。
『婚カツ屋』のある駅に着いた。同期で仲が良かった涼子の自宅があるのもこの駅だった。涼子はどうしてるんだろうかと思うと、また胸が苦しくなった。あれ以来連絡していないことが、わたしの心にずしりと重くのしかかっていた。
 改札をぬけると駅前にファーストフード店や牛丼屋、パチンコ店があり、下町風情あふれるにぎやかな所だった。信号を渡った所に商店街が見えた。ちょうど青信号だったのでスクランブル交差点を斜めに走って渡った。商店街に入ると人通りも多く活気がある。食品スーパーや100円均一ショップ、コンビニなどもあり便利で住みやすい町で羨ましかった。今の部屋を探す時に、もう少し調べておけばよかった。お肉屋さんの店頭に美味しそうなコロッケや唐揚げが並んでいた。その隣の店のソースの匂いにつられて鉄板の上に並ぶお好み焼きに視線がいってしまった。おじさんが器用にお好み焼きをひっくり返している。ふと、おじさんの背後に掛かる丸くて白い掛け時計を見たら三時二十分を過ぎていた。「うわっ」と声を上げてしまった。おじさんが手を止めてこちらを見たのでペコリと頭を下げて、その場から離れた。のんびりしている場合じゃないなと少し早足で商店街をぬけた。遅れたら何を言われるかわからない。商店街をぬけると飲食店が沢山ならんでいた。古民家を若者向けに改装した飲み屋から昔ながらの居酒屋まであって、夜は賑やかなんだろうなと左右を見ながら歩いた。そして右手に開店祝いの花が飾ってあるスタンドが見え、その奥に『焼鳥屋さち』の看板が見えた。
「ここだわ」五階建ての古びた建物を見上げた。三階の右端に灯りが見えた。
 『焼鳥屋さち』の左側に建物の入口があった。そこから建物に入るとすぐ右にエレベーターがあった。エレベーターに乗ろうと思ったが五階に止まったままだったし、文字が消えて茶色くなったボタンを押す気になれず、三階まで階段で上がることにした。明かりのない暗い階段を急いで上がった。靴音がコツコツと響いた。三階についてすぐに『婚カツ屋』の看板があった。黒地に白色で『婚カツ屋』と書いてある趣味の悪い看板だ。隣の事務所には聞いたこともない研究所の名前があり、その奥には、これも聞いたことない踊りの教室があった。
 わたしはもう一度趣味の悪い看板を見た。「婚カツ屋かぁ」ため息混じりに呟いた。
 最初から変わった名前だなと思ったが、音だけ聞いたら、トンカツ屋と聞き間違えるだろう。スマホで時間を確認すると、ちょうど三時半だった。フゥと息を吐いた。
 ドアの前に立ち大きく息を吸った。右手を握ってドアをノックしようとしたところで身体が固まってしまった。ここにきて、この事務所の中にいる男との電話のやりとりを思い出し、この事務所に入ることを躊躇った。
 その時、ドアの中央のスリガラスに人の影が見えた。ガチャッとドアノブが回り、ドアがゆっくりと半分開いた。わたしは後ずさりして開いたドアに視線をやって息を呑んだ。
「電話くれた人?」半分開いたドアから無精髭を生やした男が顔だけ覗かせた。男は四十歳くらいだろうか、セットされていないボサボサした頭を掻いていた。彫りの深い顔をしていて目は獣のように鋭く、このまま逃げ出したくなった。
 わたしは「あっ、は、はい」と言って後ずさりした。
「で、なに?」男は首の後ろを掻きながら面倒くさそうに言った。
「こ、ここのシステムを詳しく知りたいと思いまして……」息が出来ないくらい怖くて緊張した。
「あーっ、そう、なるほど、なるほど、ふーん」
 男はわたしを頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見た。男の目が怖くて体が震えてきた。男の目が上から下へ、そして下から上へときて、わたしと目が合った。男がニヤリと右の口角だけをあげた。その後「いいねぇ」と親指を立て、そして笑った。
「さぁ、どうぞ、入って」男がドアを大きく開けた。
「えっ、あっ、はい」何が、いいねぇ、なんだろう。
 わたしは恐る恐る事務所に入った。歩き方がペンギンのようになってしまった。
 事務所に入るとすぐに四人がけの黒いソファがあり、テーブルの上に吸殻であふれたアルミの灰皿とスポーツ新聞が置いてあった。煙草の灰がテーブルの上に散っていた。奥のグレーの事務机には缶コーヒーとサンドウィッチが見えた。先に行った二社は結婚相談所らしくピカピカと光る床にパステルカラーの壁。結婚式の写真やきれいな花が飾ってあったが、ここの壁は煙草の煙がすっかり染み込み、床のタイルはところどころ剥がれ、端が黒ずんでいた。きっと時間の無駄になる。いや、それだけならまだましなのかもしれない。変なことに巻き込まれるのではないかと怖くなった。やっぱり来なければよかった。
「まぁ、座って」男はそう言ってから事務机に置いてあった缶コーヒーを手に取り飲みはじめた。
「あ、はい、失礼します」わたしはソファの前で立っていた。
「いいから、座って。缶コーヒーかペットボトルのお茶くらいしかないけど、何か飲む?」
「あっ、いえ、大丈夫です」
「あっ、そう」そう言って男は缶コーヒーを飲み干した。空き缶をゴミ箱に投げ込んでからソファまできて、わたしの前にドーンと勢いよく座った。男は首を左右に折ってから大きく息を吐き、わたしの顔を見てにやっと笑った。灰皿をテーブルの端に寄せて、スポーツ新聞で散らばった煙草の灰をはたいてから新聞を自分の横に置いた。
「じゃあ、はじめるか」
「あっ、はい」小さな声になった。早く逃げ出さないと危ないとソブァの椅子にちょこんと座った。
「屋敷史郎だ。あんたの名前は?」男はそう言って名刺を出した。白地に『婚カツ屋』屋敷史郎とあり、下にここの住所と電話番号の書いてあるだけのシンプルなものだった。
「あ、榊原早苗です。よ、よろしくお願いします」
「早苗ちゃんね。うちのことが訊きたいんだって?」なにが早苗ちゃんよ気持ち悪い。
「あ、はい、こ、ここは結婚相談所、ですよね」
「まっ、そうだけど。他の結婚相談所とはちょっと違うかもな。だけど、うちの方が絶対良いから」
「そ、そうなんですか」ちょっとどころかだいぶ違うでしょ。それに絶対良いという自信はどこからくるのか理解出来ない。
「そんなに緊張するなよ」
「あっ、は、はい」あなたの顔を見たら怖くて緊張するに決まってるでしょ。
「訊きたいことがあるなら、何でも訊いてくれ」
「で、では、あ、あの、入会金や会費はどれくらい必要ですか」
「入会金や会費かぁ。いくらにしようかなぁ」ニヤリと笑みを浮かべながら、天井を見上げた。
「えっ、決まってないんですか」
「ハハハ、冗談だ。そんなものはいらない。成功報酬だ」
「せ、成功報酬?」
「そう、成功報酬。俺が紹介した相手をあんたが気に入って結婚を前提に付き合いをはじめたら、成功報酬として百万円を支払ってもらう」
「ひゃ、ひゃくまんですか」声が裏返った。
「そうだ」
「ちょっと高くないですか」
「そんなことないだろ、楽して理想の相手が手に入るんだから安いもんだろ。成功報酬だから、それまでに無駄な金を支払う必要もないしな」
「確かに、そうですけど……」
「嫌なら、他に行けよ」
「あっ、はぁ、でも、もう少しだけ訊かせてください」
「あー、どうぞ」
「紹介してもらった相手と結婚を前提に付き合うというのは、こちらから伝えるわけですか」
「そうだ」
「もし、ですけど……」屋敷さんの顔をじっと見た。
「あー」
「もし、わたしがここで紹介してもらった人と付き合いはじめても、そのことを伝えなかったらタダってことですよね」
「ファァァー、まぁ、そういうことになるかもな」両手を突き上げあくびをしながら言った。
「そこは依頼者を信用するわけですか」
「そうだ、当たり前だろ」
「信用して大丈夫ですかね?」
「あー、大丈夫だ」
「本当に大丈夫でしょうか?」わたしが心配することでもない気もした。
 屋敷という男は身を乗り出してきた。わたしは危険を感じ後ろに体をそらした。
「ここで契約するって奴は、こんな怪しい俺を信用して契約するわけだ」
「そ、そうですね」自分でも怪しいと自覚しているようだ。
「だから俺もそいつを信用する。それにそんなことで嘘ついて結婚しても幸せになれるはずがない。万引きや盗人と同じだからな」
「なるほど、確かにそうかもしれないです」
「わかった?」
「あっ、はい」この人、わりといい人かもしれないと顔をじっと見た。よく見るときれいで優しい瞳をしていた。
「他には?」
「ここの会員数とかは、何名くらいですか。それと男女の比率も教えて下さい」
「会員なんていない」
「い、いないんですか」びっくりして顔を見たら、コクリと頷いてニヤリと笑った。
「じゃあ、どうやって紹介するんですか」
「心配すんな。俺がその都度、適当にいい奴を見つけてスカウトしてくるから大丈夫だ。間違いなくいい相手を見つけてやる」
「これから、わたしの為に誰かをスカウトするわけですか」
「そうだ、あんたの為にいい奴見つけてやるよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「礼は早い。決まってからだ」
「けど、会員がいた方がいいんじゃないですか。会員がいて紹介出来る候補が何人かいたら、次から次へ紹介できるじゃないですか」
「他の結婚相談所と違うのはそこだ。俺は気に入った奴にしか紹介はしない。だから、先に、いい奴かどうか見極めるんだ。会員とかになるとそれが出来ない」
「あなたが気に入らない人は紹介しないんですか」
「そうだ、当たり前だ。気に入らない奴を紹介なんて出来ないだろ。あんたは、気に入らない奴を仲の良い友達に紹介するか? そんなことしないだろ」
「そうですね」やっぱりこの人いい人かもと優しそうで澄んだ瞳を見つめた。一瞬目が合ったけど、屋敷さんは、すっと俯いて視線をそらした。
「そういうこと。わかった?」
「わたしは、どうなんでしょうか」
「あんたは、ルックスがすごく良いよ。昨日、電話で話した感じも良かったし、今話してる感じもすごく良い。絶対にいい相手見つけてやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます」昨日の電話は覚えていたんだ。
「あんたの写真みせたら、ほとんどの男は、あんたを気に入るだろうな」
「わたしを……ですか?」
「そう、あんたはルックスで得してる」
「はぁ、ありがとうございます」わたしは褒められたことで、この屋敷という人のイメージがドンドンと良くなっていった。
「も、もしお願いするなら、わたしはどうすればいいんですか」自然と身を乗り出していた。
「とりあえず、あんたのことをもう少し詳しく知りたい。それから理想の男のタイプを教えてくれ。あとは俺があんたの理想の男を探すから」
「まったく、費用はいらないんですよね」
「成功報酬だ」
 お願いしようか、どうしようか。この屋敷という人物を信用しても大丈夫だろうか。頭の中でグルグルと思考が回っていた。
 フーッと息を吐いて、ソファに座り直して背筋を伸ばした。せっかくだからやってみよう。
「お願いします」屋敷さんに頭を下げた。
 屋敷さんが右の口角だけを上げて、にやりと笑みを浮かべた。
「よーし、決まった。今からあんたのことを、もう少し詳しく聞かせてくれ。それから写真を撮らせてもらうな」
「わ、わかりました」
 その後、写真を何枚か撮られて、いろんな事を細かく質問された。結婚や恋愛の話から仕事のこと家族のことまで。それと前の彼氏の聡と別れた理由も聞かれた。少しエッチな内容まで訊いてくるので少し戸惑ってしまった。
 屋敷さんは、ずっとおだやかな表情で話を聞いてくれていたが、聡と別れた理由を話している時だけ、少し顔をしかめて「うーーーーん」と言いながら首の後ろを掻いていた。わたしは、それが少し引っかかった。

「見つかったら連絡する」話が終わると屋敷さんはそう言って手帳をパンと閉じて立ち上がった。
「ありがとうございました」わたしも立ち上がり頭を下げた。頭を上げると屋敷さんが右手を差し出していた。わたしも右手を差し出した。厚くて硬い男性の手だった。久しぶりに男の人の体に触れた気がした。
「期待して待っていてくれ」
「よろしくお願いします」もう一度頭を下げてから踵を返し事務所を出ようとした時、「おい」と後ろから屋敷さんの声が飛んできた。
「はい」わたしは振り返った。
「なぜ結婚したいんだ」
「なぜって?」わたしは首を傾げた。
「どうしても結婚したいのか?」
「はい、そうです……、そのためにここに来たんです」
「不幸になっても結婚したいか」
「それは嫌です。幸せな結婚がしたいです」
「そうだな」屋敷さんはそう言って、俯きながら首の後ろを掻いた。
「お願いします」
「まっ、頑張ってみるわ」少し屋敷さんのトーンが下がった気がした。
「失礼します」ペコリと頭を下げた。
「おぅ」屋敷さんが右手を上げた。

 こうして、わたしの婚カツは、少し怪しいけど、最初に費用がかからないし、屋敷という男は思ったよりいい人なので『婚カツ屋』でスタートすることになった。

 


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