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同窓会

2019.01.22 09:04

 山脇俊太

 こんなに早くに会社をあとにするのは久しぶりだなと山脇俊太は腕時計を見た。最近は新商品開発チームのリーダーとして仕事が山積し残業が当たり前になっていたので、やり残した仕事があるのではないかと少し不安になったが、そんな気持ちを振り切るように会社を後にした。
 車窓から見える景色がいつもと違うように見えるのは、まだ空に明るさが残っているからだろうなと思いつり革を握っていた。会社の駅から自宅の駅まで快速電車で約30分。山ひとつ越えるので30分の間に景色は都会から田舎へと変わっていく。普段、車窓から景色を眺めることもなかったが、この日は、味わうように流れる景色を目で追った。高層ビルが立ち並び、視界を遮っていたが、鉄橋を渡りはじめると視界がパッと広がり、鉄橋を越えると住宅街へと変わった。駅前にはスーパーや商店街が見えてきた。山脇の母校、間中高校の校舎が見え、それを過ぎると、急に緑が増えトンネルに入る。トンネルをぬけると視界には田んぼが広がる。普段帰宅する時間にはトンネルを抜けても灯りが少なく、こうして田んぼの広がる景色を見渡すことはなかった。山脇は、たまに早く帰宅するのもいいもんだなと思った。
 自宅駅に着いた。山脇は足取りも軽く階段を駆け下り、改札へと向かった。ふと、改札の向こうから視線を感じた。何気なくそちらに視線をやると、その先に男が立っているのが見えた。山脇は男から視線をそらし改札を抜けた。すると、その男が「山脇さん、こんにちは」と声を掛けてきた。山脇が男を見ると、男は右手を上げ白い歯を見せていた。山脇は眉間に皺を寄せながら男の顔をじっと見た。男は白い歯を見せ右手を上げたまま動かない。山脇は男の顔を自分の記憶の中であれこれと検索したがヒットしない。この男とどこかで会ったことがあり、世話になったような気がするのだが、誰だか思い出せなかった。年齢は自分と変わらないように見えるが、笑っている顔は子供のように純粋な表情に見えた。
 男はポロシャツにジャケットを羽織り、下はジーンズ姿というラフな格好だ。仕事関係の知り合いではないなと思った。しかし、遠い昔にどこかで会っている、そう感じた。
「あっ、……、ど、どうも、こんにちわ」山脇は、そう言って首を傾げた。
「こんにちわ」男は笑みを浮かべたまま言った。
「どこかでお会いしてますかね? ごめんなさい、思い出せなくて……」と言って山脇は頭を下げた。
「いえ、気にしないで下さい。僕のことは覚えていないと思います。僕は影山といいます。お疲れのところ申し訳ないんですが、お話したいことがありますので、少しお時間をいただけないでしょうか」男は両手を合わせ拝むようなポーズを見せた。
 山脇は男の顔をじっと見て、口を尖らせ少し眉をひそめたが、「あっ、あー、はい、まぁ、いいですけど」と言った。せっかく仕事が早く終わったので自宅でのんびりしたいな、という気持ちもあったので、ひきつった表情になってしまった。
 山脇は、少し色を失った空を見上げ、どうせ、早く帰ってもやることないしな、と自分に言い聞かせた。
「あそこの珈琲店で、おいしい珈琲を飲みながらお話ししたいんですが」男が高架下にある珈琲店の立て看板を指して少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 看板には『珈琲店リザルブ』とかいてあった。『リザルブ?』山脇はどういう意味だろうと首を傾げた。
 山脇は、この男は悪い人ではない、いや、むしろ良い人だろうと感じていた。それに、この男とは過去にどこかで会っているという、このモヤモヤとしたものを取り除いておきたかったので、珈琲店リザルブに付き合うことにした。

 珈琲店リザルブは一年位前にオープンした店で、山脇は毎日のようにこの店の前を通っていたが通勤途中の景色の一部でしかなく、ここの店名がリザルブということをはじめて知った。
 男に連れられてリザルブに入ると、閉店間際のようで他にお客はいなく、カウンターに立つショートカットで背の高い女性が一人で片付けをしていた。
 女性は手を止め「いらっしゃいませ」と閉店間際に来た客にも関わらず心地よい声をかけてくれた。モデルのような容姿で、にこやかな表情を浮かべる女性の姿を見て、山脇の胸がときめいた。この女性の容姿やこの店の内装だけを見ていると、田舎の駅前の珈琲店ではないような錯覚をした。
 山脇が女性に見とれている間に、男は一番奥のテーブルまですすんでいた。「どうぞ」と山脇に先に座るように声をあげた。「あっ、あー、すいません」山脇はそう言って、慌ててテーブルまで行き、奥側の椅子に腰かけた。
 席に座ってすぐに、女性が水とおしぼりを運んできてくれた。山脇は女性を見上げて、おしぼりを受けとり、これからはここの常連になろうと決めた。思わぬ収穫があったなと口元を緩ませた。

「お疲れのところ、お時間いただき有難うございます」
 珈琲の注文を済ませてから、男はおでこがテーブルにあたるくらいの勢いで頭を下げた。
「いえいえ、あっ、あー、ところで……、お話ってなんでしょうか」山脇はおしぼりで手をふきながら訊いた。
「あっ、はい、実はですね」男がテーブルに両手をついて身を乗り出したところで、女性が珈琲を運んできてくれた。「お待たせしました」
 テーブルに身を乗り出した男は一旦体を起こし、女性に「ありがとう」と言ってから笑みを向けた。
 女性も笑みを返して、細くて白い腕を伸ばし珈琲をテーブルに静かに置いた。珈琲をテーブルに置くときにカチャッと鳴る音までが、山脇には心地よく聞こえた。
「これ、よかったら召し上がって下さい」女性はそう言って、焼き菓子の入った小さな藤籠をテーブルの真ん中に滑らせるように置いた。
「えっ、これサービスですか」男は藤籠の中の焼き菓子を覗いてから女性を見上げて言うと、女性は「さっき試作品が出来上がったので。甘いもの苦手じゃなかったら、どうぞ」と言って、銀色の盆を膝の前で持ち肩をすくめた。
「なんか、懐かしいなぁ。ありがとうございます。遠慮なくいただきます」男は女性に頭を下げた後、山脇に視線を移した。
 山脇は何が懐かしいんだろうと思いながら「ありがとうございます。ちょうど甘いものがほしかったんです」と女性を見上げ笑みを浮かべた。
「では、ごゆっくり」女性はやさしく頭を下げてから踵を返してカウンターへ戻っていった。山脇は女性の後ろ姿を目で追っていた。
 一旦、話が中断してしまい、山脇と男はお互い焼き菓子を口にしてから珈琲を一口飲んだ。
「おーぅ、この焼き菓子も美味しいし、珈琲も旨いな」山脇は初めて入った店の珈琲の味に驚いて声をあげた。毎日のようにこの店の前を通っていたが、こんな美味しい珈琲をだしてる店とは知らなかった。
「そうでしょ、おいしいでしょ。僕のおすすめの珈琲店ですよ」男はそう言って珈琲を口にした。
「本当に美味しい、こんないい店が近くにあったなんて、もっと早く知りたかったなぁ」山脇はそう言ってカウンターに視線をやった。女性は片付けをしているようで下を向いていた。
「この店を気に入ってもらえて良かったです。珈琲も気に入ってくれたようですが、山脇さんは、あの女性にも興味があるようですね」男は女性に視線を移してから山脇の顔を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
「えっ、いや、まぁ、きれいな女性だなと思っただけで……」山脇は頭を掻いた。
「あの女性が、誰だかわかりますか」
「えっ、い、いえ、知りません……」山脇は何度も首を横に振った。
「本当に知りませんか」男は乗り出すように訊いた。
「ええ、知りません。あなたは、あの女性と知り合いなんですか」山脇は目を丸くした。
「知り合いというほどではないですが、昔から顔と名前くらいは知っています。山脇さんも知っているはずですよ。昔に会っているはずです」
「いやー、知らないです。あんなきれいな女性は一度見たら忘れませんよ」
「フフフ、確かにきれいですからね。でも中学生の時に会ってるはずです」
「中学生の時?」山脇はその頃の同級生の顔を思い浮かべ、腕を組んで宙に視線をやった。「いやー、わかりません。誰ですか」
「彼女の名前は遠井美佐です」
「遠井……ですか?」中学校の同級生に遠井はいたけど男だったし……、まさか、あの遠井じゃないよなと思いながら、もう一度女性を見た。
「そう、中学の時、同級生だった遠井のお姉さんですよ。ここは遠井のお姉さんが一年前にはじめたお店なんです」
「えっ、あー、お、お姉さんね。そ、そうなんですか」
 山脇は、この女性が中学の頃、いっしょに遊んでいた遠井の姉ということに驚いたが、それ以上にこの男が遠井を知っていることの方が驚いた。
 遠井とは中学の頃、よく遊んだ。遠井は野球が上手くて高校から野球の名門校に入学し、それからはいっしょに遊ぶことはなかった。甲子園を目指していたが、テレビでその勇姿を見ることはなかった。その後も大学、社会人でも野球を続けているときいていた。中学の頃の記憶だが、女性の黒目の大きい綺麗な瞳は、確かに遠井に似ているような気がした。
 遠井の家に遊びに行った時にお姉さんに挨拶した記憶はあるが、あの頃は遊びに夢中でお姉さんの顔まで覚えていなかった。
 この男はどうして遠井を知っているのだろうか、という謎が一つ増えた。
「遠井を知ってるんですか」山脇はコーヒーカップを片手に持って訊いた。
「えっ、ええ、まあ……、昔は一緒によく遊びましたから。最近は会えてないですが……」男は頭を掻いた。
 やっぱり、この男は昔にどこかで会っている気がする。そう、遠井達と遊んでいた頃だ。しかし、影山という名に記憶はなかった。山脇はじっと男の顔を見た。そして、この男といつ会っていたのか、思い出そうと頭の中をグルグルと回し視線を宙にやった。
 山脇が記憶を探っていると、男が急に口を開いた。
「今日は山脇さんにお願いがあって来たんです」
 男は、これからが本題のようで、背筋を伸ばし、口を真一文字にした。山脇は宙に向けていた視線を男にもどした。
「俺に……、お願い……?」山脇は首を傾げた。そして「な、何でしょう?」と恐る恐る訊いた。
「実はですね、間中高校の同窓会をやってほしいんです」男は山脇の顔をじっと見て言った。
「間中高校の同窓会……、ですか?」
 この男は山脇が間中高校の卒業生であることも知っているようだ。怪しい人物には見えないが少し不気味に思えてきた。
「そうです、お願いします。日時と会場も決めて、ホテルの予約まで済ませています。招待状のハガキも準備しました。幹事を山脇さんにしていますので、あとのことをお願いしたいんです」そう言ってハガキをテーブルの上に置いて山脇の前にすべらせた。
 山脇はハガキを手にとり視線を落とした。

《同窓会のご案内》
間中高校15期生の同窓会を催します。
日時 2005年8月21日 17時から
場所 ホテル マナカ
幹事 山脇俊太

「えっ、えー、な、なんで、私が幹事なんですか。勝手に名前使って」ハガキを男の前に叩きつけるように返した。
 さすがの山脇も腹が立った。こんな勝手なことをして、協力出来るわけがない。このまま帰ろうと席から立ち上がった。
「申し訳ありません。あなたしか頼る人がいなかったんです。どうか、どうかお願いします」男はおでこをテーブルにつけて頭を下げた。
 カウンターの女性が男の声に驚いて二人に目を向けた。山脇は女性と目があって慌てて笑みを返して頭を下げた。何か事情があるのだろう、そう思うことにした。
「わ、わかりました。頭を上げて下さい」山脇も冷静さを取り戻そうと、腰をおろし、少し冷めた珈琲を口にした。
 男は頭を上げてから山脇をじっと見つめ、もう一度「申し訳ありません」と言って頭を下げた。
「頭を上げて下さい。前向きに考えますが……、まず、何故、同窓会を私が幹事になってやらないといけないのか、その理由を聞かせてください。それ次第でお受けするか決めさせていただきます」
「あっ、は、はい、わかりました。申し訳ありません。では、お話します」男は背筋をピンと伸ばし山脇の目をじっと見た。
「信じられないかもしれませんが、これからお話しすることは全て事実です」男はそう言ってから目を閉じて大きく息を吸った。
 

 日下光治

 日下光治はくわえていた煙草を左下にある灰皿に押しつけてから、パチンコ台をバーンと叩き、苛立ちをぶつけた。
「全然、出ないじゃねえか」そう言って立ち上がり、隣の通路に移動した。通路を行ったり来たりして台を品定めし322番台に腰を下ろした。財布から残り少なくなった千円札を取り出しパチンコ台横にある挿入口に入れた。パチンコ玉がジャラジャラと出てくるのを確認して、煙草に火をつけ、フゥーと強い息を吐いた。
 店内に響くBGMと店員の元気な声を聞いて、気合いが入った。「よーし、この台で取り返すぞ」首を左右に折った。

 日下は、隣の席のごま塩頭の男や後ろの席の茶髪の若い女の足元に積み上げられたドル箱に視線を落とし、大きく息を吐いた。自分の財布の中を覗いて札が無くなったのを確認し肩を落として322番台から立ち上がった。
 店内に響くBGMと店員の元気な声が雑音に聞こえた。


 日下美也子

「ただいま」と沈んだ声が玄関から聞こえてきた。
 息子の光治は、他人とのコミュニケーションを避けてしまっているが、家族との挨拶だけは沈んだ声であってもしてくれた。子供の頃からの習慣がぬけてないことが救いだなと美也子は、そう思いながら、沈んだ声に耳を傾けた。
 しかし、息子の沈んだ声を聞いて嬉しいはずはなかった。台所仕事の手を止め、腕をだらんと垂らし肩を落とした。息子が就職活動もせずパチンコで負けて帰ってきたのだろうと思うと、ため息すら出ない。
「おかえり、又パチンコかい」美也子はキッチンから出てきて眉間に深い皺を寄せ両手を腰にあてた。
「あっ、あー」光治は俯いたまま返事をし、リビングに腰をおろした。
「いいかげんにしなさい。仕事も辞めちゃって遊んでる場合じゃないでしょ。しっかり就職活動してちょうだい」美也子は声を荒げた。
「うるさいな、それぐらいわかってるよ」光治は髪の毛を掻きむしっていた。苛立った様子だった。
「三十歳前にもなって、わかってないでしょ。なんとかしないと知らないわよ」
「わかってるよ。俺だって必死だよ」
 美也子は大きく息を吐いた。
「あなたにハガキが来てたわよ。高校の同窓会の案内みたい」そう言ってテーブルをパンと叩くようにハガキを光治の前に置いた。そして光治に一瞥した。
 光治はハガキを手にとり視線を落とした。

《同窓会のご案内》
間中高校15期生の同窓会を催します。
日時 2005年8月21日 17時から
場所 ホテル マナカ
幹事 山脇俊太

「ふーん、山脇が幹事か」光治は、そうつぶやいてハガキをテーブルにぽいっと投げた。
「参加するのかい」美也子は息子が同窓会に参加するのか気になっていた。参加してほしい気持ちはあったが、今の状況だと息子も肩身が狭いだろうなと思った。
「わからない」ぶっきらぼうな言葉が返ってきた。
 光治はテレビのリモコンのスイッチをいれた。同窓会の話題を避けようとしているようだった。テレビから洗剤などの日用品を扱う大手メーカーのCMが流れていた。
「あら、山脇くんの会社のCMね。山脇くん、こんな立派な会社に就職して凄いわ」美也子の言葉は嫌みっぽくなってしまった。
「あっ、あー」光治は、すぐにチャンネルを変えた。今度は光治と同世代のお笑い芸人が出ていた。先週の漫才グランプリで優勝し一躍有名になった漫才コンビだ。二人を祝福する様子が流れていた。光治はテレビを消して、視線を宙にやった。
「無職じゃ恥ずかしくて、皆に顔も合わせられないわね」美也子は口元を歪めて言った。
「そうだな、同窓会までに仕事決めるわ」光治は首の後ろをさすっていた。
「そうね、それがいいわ」美也子はやっと笑みを浮かべた。

 小学校、中学校と成績優秀だった光治は、美也子にとっては自慢の息子だった。性格は活発な方ではなかったが、大人しく真面目で、近所では優しく礼儀正しい少年だと評判だった。高校も進学校の間中高校に入学して美也子は鼻が高かった。
 ところが、高校に入ってから家にひきこもりがちになり勉強もしなくなった。なんとか大学には入ったが、大学でも勉強する気もなく中退し、警備のアルバイトでお金を貯めては遊び呆けていた。その後正社員として就職したが、仕事がきついわりに給料が安いと転職を繰り返し、今は無職だ。
 自分に合った仕事を探すと就職活動中だが三十歳前になると、思うような仕事もなく就職活動にも身が入らない。気晴らしにパチンコに行くが負けて帰ってくる、そんな毎日を送っていた。


  北尾洋輔

 中学校の終業のベルが鳴る。教室から吐き出されるように生徒達が出てきて、廊下が縁日のように、にぎやかになっていた。

「大沢、野々村、今日は俺んちに来いよ」北尾洋輔が並んで前を歩く大沢彰と野々村道郎の二人の肩を両手で抱え込むようにして二人の顔の間から首を出した。

「今日行っていいのか」一番小柄な大沢は、小さな子供のように目を輝かせ相好を崩した。
「あー、当たり前だ、来いよ」北尾は大沢の方に顔を向けた。
「よーし、今日は何して遊ぼうかな」大沢は思案顔をつくってみせた。
「野々村は来れるか」今度は野々村の方を向いた。
「あー、大丈夫だよ。お邪魔させてもらうよ」野々村は三人の中で一番成績優秀で大人っぽいクールな中学生だ。大沢のように喜びを表現していないが、口元は緩んでいた。
「よーし、決まった」北尾は二人の肩から離れて二人の背中をパーンと叩いた。
「今日は野々村に勉強教えてもらおうぜ」大沢が言った。
「えっ、僕が教えるの?」野々村が自分の鼻に人差し指を向けた。
「そう、野々村が勉強を教える、それで決まり」大沢は野々村に向かって人差し指を向けた。
「おぅ、それがいい」北尾は、野々村に親指を立て笑みを浮かべた。
 野々村は笑って小さく頷いた。少し得意気な表情に見えた。
 北尾と大沢は野々村に勉強を教えてもらうのが大好きだった。教え方が上手いのだろう。勉強が嫌いな二人だが野々村から教わる時だけは楽しかった。
「野々村は絶対に先生になるべきだ。野々村が先生になったら生徒は幸せだろうな」大沢がまた相好を崩した。
「ありがとう、そう言ってもらうとなんか嬉しいな」野々村が口元を緩め、少し照れたような表情をした。
「じゃあ、野々村、今日は数学教えてくれ」北尾がもう一度親指を立て笑った。
「うん、数学がいい」大沢も笑った。
 三人の歩く足が速くなった。


 北尾澄子
 
「母ちゃん、ただいま。大沢と野々村を連れてきたぞー」玄関から息子洋輔の声が聞こえてきた。「おかえり」と声を張り上げ、玄関へと急いだ。自然と笑みがこぼれる。玄関までいって、息子と友達二人の顔を見ると笑みが花が咲いたように満面になった。白くて丸いマシュマロのような顔がくしゃくしゃになっていた。
「いらっしゃい」細い目を一段と細くして、息子の友達二人に声を掛けた。
「おう、あがれ」洋輔が友達二人に向かって言った。
「おじゃましまーす」小柄で日に焼けたタラコ唇の少年と細くて色白で狐目の少年二人は、目を大きく開け、白い歯をみせた。

 息子の洋輔は小学校の頃、友達が出来なかった。体が大きい洋輔は、女の子を泣かせたり、同級生を突き飛ばして怪我をさせたりすることもあった。その度に澄子は学校から呼び出され頭を下げた。本当は心の優しい子なのに、なぜ暴力をふるうのだろうか、父親のいないのが原因なのかと悩んだ。
 中学生になって環境が変わり仲の良い友達でも出来れば息子も変わるのではと澄子はかすかなを期待をよせた。逆に中学生になり体も一回り大きくなった暴力は、手がつけられなくなるのではという不安もあった。

 中学生になってすぐのことだった。洋輔がはじめて家に友達を連れて来た。それが大沢と野々村だった。
 体は小さいが愛嬌のある大沢と礼儀正しく優しい瞳をした野々村を見て、息子にはもったいないくらい良い友達が出来たと喜んだ。
 二人は本当に洋輔と仲良くしてくれているようで、澄子は二人に感謝した。二人が遊びに来てくれると嬉しくてたまらなかった。二人と遊ぶようになってから小学校の頃のような暴力も無くなり呼び出されることもなくなった。

 澄子はジュースや菓子を持って、騒ぎ声がする洋輔の部屋に入った。
「はい、おやつよ」澄子は三人の楽しそうに騒いでいる姿に目を細めた。
「おばちゃん、いつもありがとう」大沢が人懐っこく右手をあげて言った。
「いつもありがとうございます」野々村が礼儀正しく正座をし頭を下げた。
 二人ともタイプは違うけど、本当にいい子だなと思った。
「かあちゃんは、こいつらが遊びに来ると嬉しそうだな」洋輔が大沢の頭を大きな手で押さえながら言った。
「洋輔、友達の頭をそんな風に押さえるもんじゃありません。大沢くんに失礼よ。ごめんね、大沢くん」澄子の眉が八の字になった。
「へへへ、別にいいです。いつもこんなだから」愛嬌ある大沢が首をすくめながら相好を崩した。
「いつもは、こんなおやつなんか無いんだぞ。お前らが遊びにきた時だけ、かあちゃんは特別みたいだ」洋輔の楽しそうな姿を見て、澄子は一段と嬉しくなった。

 はじめて大沢と野々村が家に遊びに来た時、澄子は息子に友達が出来たことが嬉しくて、すぐに近くのスーパーにお菓子とジュースを買いに行った。それを出した時の三人の喜ぶ姿を見て、澄子は目を潤ませた。それからは彼らがいつ来てもいいようにと、お菓子とジュースを買い置きしておいた。お菓子とジュースは週に一度は補充しないと間に合わないくらい二人は遊びにきてくれた。



 遠井信也

 遠井信也と山脇俊太はテーブルに浅く尻を乗せて向かい合い話していた。遠井が野球の面白さを熱心に語りはじめたのがきっかけで、二人は、この休み時間中、ずっとこの体制で話をしていた。
「野球が面白いのは、わかるけど、球場に観に行ったことはないな」
「とりあえず、明日うちに来いよ。プロ野球選手のサインとか見せたいし、明日の試合、テレビ中継あるから一緒に観ようぜ。きっと山脇も野球が好きになるよ」
 遠井の熱心な誘いに山脇も興味を示しているようだった。明日の休みは遠井の家に行って、サイン色紙を見せてもらい、その後テレビで野球観戦をすることが決まった。
「おい、日下、明日遠井の家に遊びに行くんだけど、一緒に行かないか」山脇の後ろに座る日下光治に山脇が声をかけた。
「えっ、あー」日下は読んでいた本から視線を外し、山脇を見上げてから遠井に視線を移した。
「遠井、日下も一緒に行っていいだろ」山脇は顎をつき出すように訊いた。
「当たり前だ、日下とも友達になりたかったからな」
「そうだろ、日下は無口だけど話すと面白いし、良い奴なんだ」
「じゃあ、日下、明日誘いに行くな」山脇は日下に向けて右手を上げた。
「わ、わかった。誘ってくれてありがとう」小さな声で礼を言った。
 山脇と日下は幼なじみで小さい頃から仲良しだ。遠井は二人の関係を羨ましく思っていた。大人しく真面目な日下だが、山脇といる時は楽しそうだった。誰とでも仲良くリーダーシップを発揮し人気者の山脇だが、山脇も日下といる時は特に優しい表情をしていた。

「俺の夢は野球選手になることなんだ」遠井が野球のグラブを左手に入れ右手でパンパンと叩きながら、山脇と日下を前にして夢を語った。
 山脇と日下は部屋中に貼ってある、野球選手のポスターやサイン色紙の数に圧倒され、それらを見上げながら遠井の話を聞いていた。
「それにしても、サイン色紙の数がすごいな」山脇がそう言うと日下は隣で頷いていた。
「そうだろ、俺の宝物だ」
「将来は遠井のサインがこうして誰かの部屋に飾られるのかな」山脇にそう言われて、遠井は嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうなったら最高だけどな。けど厳しい世界だからな」
「頑張れば、きっとなれるよ」山脇が言うと、遠井は何度も頷いた。
「確かに頑張らないといけないけど、まずは野球を楽しみたいんだ。野球選手になれなくても、将来は野球の楽しさを伝える仕事がしたいんだ」
 遠井の野球への熱い思いに、山脇は感動し羨ましく思った。自分にはこんな熱中できるものがないなと、もう一度部屋中のポスターやサイン色紙を見上げていた。

「しんや」という蚊の鳴くような小さな声と同時に部屋のドアが少し開いた。三人がドアの方に視線をやった。
「あっ、姉ちゃん」遠井がドアの方に向かった。
「お母さん出掛けてるから、とりあえず、さっき焼いた焼き菓子と珈琲持ってきたわ」そう言ってお盆を遠井に渡した。
「姉ちゃん、サンキュー」遠井が盆を受け取った。
「おじゃましています」山脇がドアの外に立つ遠井の姉に向かって小さく頭を下げた。続けて日下もペコリと頭を下げた。
「ゆっくりしていってね」遠井の姉が部屋に顔だけ入れて、はにかむような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」山脇が言うと日下も「ありがとうございます」と続けて言って揃って遠井の姉にもう一度頭を下げた。
「どういたしまして、じゃあごゆっくり」遠井の姉は遠井に視線をやってから、二人に向けて、もう一度、はにかむように笑った。
 


  医者になりたい

 寝坊した大沢彰は、中学校まで全速力で走り何とか遅刻せずに間に合った。
 校門に立つ先生が「大沢はいつもギリギリだな、五分だけ早く起きればいいんだぞ。この五分の差が将来大きな差になるかもしれないんだ」と説教した。
「はーい、わかりました~」と大沢は右手を小刻みに振って立ち止まることなく教室へ走って行った。
 説教した先生は、わかってくれてないなと苦笑し、大沢の教室へと向かう後ろ姿を腕を組みながら目で追った。「性格が明るくいい子なんだけどな」と呟いた。

 大沢は息を切らし教室に入り北尾の席を見ると、北尾の姿がなかった。大沢は首を傾げた。いつもなら、一番後ろの席でふんぞり返って座り、大沢に向かって右手をあげてから「おぅ、おせえぞ」と言ってくるのだが、どういうわけか今日はいない。無遅刻、無欠席だった北尾なのに、どうしたんだろうかと思った。野々村に訊いたが、心配そうに野々村も首を傾げた。

 担任の先生から北尾の母親が入院したので北尾は今日からしばらく休みだと聞いた。入院という言葉がすごく重く感じた。
 その日、家に帰ってから大沢は自分の母親から北尾の母親が生死にかかわる病気だと聞かされて、信じられなかった。北尾の母親のふくよかな顔と明るい笑顔から病気を想像することができなかった。
 その晩、布団に入ってから、北尾の家に遊びに行くとジュースやおやつを出してくれた北尾の母親の笑顔が頭に浮かんだ。絶対に元気になってほしいと天井に向かって手を合わせた。北尾はどんな気持ちで過ごしているんだろうか、そんな事ばかり考え寝返りばかりうった。

 次の日も北尾は欠席していた。大沢と野々村は二人で下校した。
「北尾の母ちゃん、重い病気みたいだ。俺の母ちゃんが、そう言ってた」大沢の表情はいつもとは全く違っていた。
「そうなんだ、病名とかはわからないの」
「重い病気としか聞いてない。聞くのが怖いし」
「そうだな、今僕たちに出来ることは、お母さんが元気になることを祈るしかないな」
「早く元気になってください」大沢が空に向かって大声を出した。野々村は大沢の優しさに目を潤ませていた。

 次の週の月曜日に北尾が登校してきた。大沢がいつものようにギリギリで登校すると、後ろの席に北尾の姿が見えた。「おぅ、おせえぞ」と言って右手を上げた。いつもより声は小さかった。
「北尾、お母さん大丈夫だったか」大沢は北尾の姿を見るなり訊いた。涙が出そうになったのをごまかした。
「先週は母ちゃんが倒れて大変だったよ。今は親戚の家から通ってるから疲れるわ」と笑いながら話してくれたが、その笑顔は少しひきつり無理していると大沢にはわかった。大沢もひきつった笑顔を返して言葉は出なかった。それから数日間は北尾は笑っていても笑顔に無理があるのがわかったので、大沢は母親の話題をすることはなかった。

 大沢と野々村は久しぶりに北尾と三人で下校した。北尾の母親が入院してからは、三人で下校していなかった。北尾は授業が終わると先に一人で帰っていった。
 先に帰るな、と言って笑って帰っていったが、大きな背中が丸く小さくなっていた。
 病院に寄っているのか、親戚の家なのでまっすぐに帰らないといけなかったのか、わからなかった。
 野々村も今はそっとしておいてやろうと言った。大沢もそう思った。
 今日は北尾から一緒に帰ろうと声を掛けてくれた。大沢は野々村と顔を見合わせて笑みを浮かべた。
 北尾がちょっと寄り道しようぜと言って川の土手の方を指した。三人で川の土手を上がり川を見ながら、土手に腰かけた。
「今日は親戚の家じゃないのか」大沢が訊いた。
「おぅ、今日はおばちゃんがうちに来てくれてる。掃除してくれてるんだ」
「そうか」
「母ちゃんの手術はうまくいったみたいで、もうすぐ退院だから」北尾から笑顔が出た。久しぶりに見る顔だと思った。
 大沢と野々村は胸をなでおろした。大沢と野々村にも笑顔が戻った。
「よかったな」と北尾に声をかけて、北尾の顔を見ると北尾の目が潤んでいるのがわかった。それを見て大沢も涙が出そうになったが必死で堪え、目頭をおさえた。野々村が大沢の肩に手をやりトントンと叩いた。
 三人は沈黙して夕陽と川の流れを見ていた。夕陽はゆっくりと沈んでいき、川は静かに流れていた。
「俺、医者になりたいな」北尾が夕陽を見上げながら急に言った。夕陽が北尾の顔を赤く染めていた。
「医者……?」大沢は北尾の口から出た言葉に驚くように目を丸くした。北尾に医者のイメージがなかった。野々村の方が医者らしいなと思った。
「そうだ、母ちゃんの命を救ってくれた医者みたいになりたい。人の命を救う仕事がしたいんだ」北尾の目は、また潤んでいた。
「医者になるのって難しいんじゃないのか」
「あー、今の俺じゃ無理だろうな。俺は今から野々村に勉強教えてもらって、間中高校に入学する。そして大学の医学部を目指すんだ」北尾が空を見上げて涙を拭った。
「僕?」野々村が自分の鼻に人差し指を向けた。そして笑った。
 大沢は北尾がすごく大人に見えた。自分には何の夢もないし、ぼーっと生きてるだけだなと思った。
「大沢と野々村は夢とかないの?」
「僕は研究者か教師になりたい」野々村が言った。
「俺は何も考えてないな。俺に向く仕事なんてあるのかな」大沢は下を向いた。
「そうだなぁー、大沢はムードメーカーだし、俺はお前と一緒にいると楽しいから、人を楽しませる仕事なんかがいいんじゃないか」
「そうかなぁ」大沢は少し照れた。自分といると楽しいと言ってもらったことが嬉しかった。
「僕もそう思う。大沢は明るいから、きっと向いてる」
「お前といると本当、楽しいからいっしょに間中高校目指そうぜ」北尾が親指を立てて大沢に向けた。
「俺の学力じゃ間中高校は無理だよ」
「なに言ってんの、お前は俺よりは頭いいだろ」
「そうだな、それは言えてる」大沢が笑った。
「お前、そこは否定しろよ」北尾は笑いながら大沢の頭を平手で叩いた。
 大沢は北尾が元気になったことが嬉しかった。自分も勉強して間中高校を目指してみよう。そして人を楽しませる仕事について考えてみようと思った。
「お前も俺といっしょに野々村に勉強教えてもらえ」
「OK、それがいい」
「僕が?」野々村は、また自分の鼻に人差し指を向けた。そして笑った。




 合格発表

「あっ、あったー」山脇は受験番号をみつけ、ガッツポーズをした。
「良かったな、日下は?」
「あっ、ちょっ、ちょっと待って」日下は遠井を手で制しながら、受験番号をさがすことに集中していた。
「あっ、あったよ」受験番を指差しながら腰が砕けるようにしゃがみこんだ。
 「日下、やったな。おめでとう」合格発表に付き合った遠井がしゃがみこんだ日下に野球で鍛え上げられた右手を差し出した。
「ありがとう」日下は細い右手をだし遠井と握手した。遠井は握手したまま、しゃがみこんでいた日下をぐいっと右手一本で起き上がらせた。

 遠井は県外の野球の名門高校に入学が決まっていた。寮生活になるので、今後はなかなか会えなくなる。
「これで三人共進路が決まったな」
「遠井は休みの日とか、帰ってこれるのか?」
「いや、練習や試合があるから、なかなか帰ってこれないかもな。帰った時は連絡するよ」
「甲子園に出てくれよ。そしたら応援に行くからな」
「頑張るわ」
「まぁ、もう暫くは中学生活を楽しもうぜ」
「そうだな」
 三人の足取りは軽く浮いているようだった。



 合格発表2


「よっしゃー」北尾は空に突き抜けるように大きく両手を上げた。
「よし、よし、よーし」大沢は何度もガッツポーズをした。
「おめでとう」野々村が二人に握手をもとめた。
「いやー、本当に間中に合格出来たぞ」
「猛勉強の甲斐があったぁ。これも野々村のおかげだ。家庭教師がよかったからだ。母ちゃんが野々村に授業料払わないといけないって言ってたけど、本当そうだ」大きな口を開けて笑った。
 北尾と大沢は間中高校を目指すようになってから、野々村の家で勉強を教えてもらっていた。野々村は嫌な顔ひとつ見せずに付き合ってくれた。
「じゃあ、出世払いで頼むよ」野々村が白い歯を見せた。


 間中高校
 
 山脇は、間中高校に入学してすぐに仲の良い友達が出来た。一番仲良くなったのは北尾洋輔だ。山脇は北尾をはじめて見た時、乱暴そうに見えたので少し怖かった。ジャイアンと自分で勝手にあだ名をつけた。ジャイアンと仲良くしている男がいた。体が小さかったしジャイアンといっしょにいるのでスネ夫とあだ名をつけた。
 ある日、スネ夫こと大沢が山脇に話しかけてきた。
「山脇? どこの中学?」顔を見ると大沢は微笑んでいた。
「山田谷中学なんだ。田舎だよ」
「へぇー、山田谷からか、すっげぇ田舎だな。ケラケラ、ケラケラ」
 大沢は大袈裟なくらいに笑っていた。
 山脇もそれにつられて笑みを浮かべた。最初はバカにしているのかと思ったが、そうではないようだ。
「フフフ、そんなにおかしいかな?」
「小さい頃は、山田谷には人がいないと思ってたよ。俺が悪いことしたら、母ちゃんがよく言ってた。山田谷に捨てに行くってな。だからさ、山田谷は今でも恐怖の場所。ケラケラ、ケラケラ」
「そこまで田舎でもないよ。駅前はスーパーもあるしパチンコ屋もあるし」
「へぇー、そっか、じゃあ、今度連れていってくれよ」
「あー、いいけど。大沢はどこ出身」
「あー、俺か、ここ間中だよ」そう言って人差し指を地面に向け胸を張った。
 山脇は大沢の胸をパンと叩いて、自慢するほどでもないよ。ここだって、そこそこ田舎だよ、そう言って笑った。
「いつもいる北尾とは中学から同じなのか」
「そうだ、あいつ体がでかくて目付き悪いから、怖がられてるけど、本当はいい奴なんだよ。気は優しくて力持ちだ。今度、紹介するから一緒に遊ぼうぜ」
 山脇は北尾について話す大沢の表情を見て、北尾も大沢もいい奴だなと思った。勝手にあだ名をつけていたことを心の中で詫びた。


 人見知りの日下は、すぐに友達は出来なかったが、山脇に紹介してもらったおかげで北尾や大沢とも仲良くなれた。
 日下は山脇と過ごす時間が楽しかった。しかし、最近は母親や友達が山脇と自分を比べることに嫌気がさすことも多かった。山脇の積極的で明るい性格のおかげで、おとなしい人見知りな自分でもクラスメートと仲良くなれているとわかっているのだが、そんな人気者の山脇に妬みを持つようになっていった。
 高校に入ってから山脇への感謝の気持ちが薄れていき、妬みがドンドンと膨らんでいった。山脇のせいで自分は損をしているんじゃないか。山脇に利用されて山脇の引き立て役になっているんじゃないか、そう思うようになっていった。本当はそうでないとわかっていたが、そう思わないと、自分の存在は山脇がいないと成り立たないような不安が襲い、日下は徐々に心を閉ざしていった。

 この日は山脇が風邪で休んでいた。山脇、日下、北尾、大沢は、いつも四人で下校していたが、今日は三人で下校していた。
 北尾は、この機会に日下とも仲良くなろうと思っていた。これまでは山脇がいるから日下がついて来ているだけで、あまり話をする機会がなかった。今日は日下とも仲良くなろうと思い、いろいろと話をしてみようと思った。
「日下は山脇がいないと寂しいんだろ」北尾が日下の小さな背中をパンと叩いた。
「いや、別に」日下は俯きながら言った。
「そうかな、今日は元気なかったぞ」大沢が日下の顔を覗きこんだ。
「そんなに山脇とは仲良いわけじゃないよ。嫌いかもしれない」そう言って、また下を向いた。
 北尾と大沢の眉はハの字になった。
「山脇はいい奴じゃないか。本当は日下も好きなんだろ」北尾が心配そうな顔をした。
「そうかな、別に……」日下の声は小さくて聞き取りにくかった。
 北尾と大沢は顔を合わせ、首を傾げた。

 校門を出た右側にはテニスコートがあり、三人はいつものようにそのテニスコートを横目で見ながら帰っていた。テニスコートでは部活動の練習が始まっていた。あちらこちらから高い可愛い女の声が三人の耳に飛び込んできた。三人の右端を歩く大沢は鼻の下をのばしながらテニスコートに視線を向けていた。
「お前、また安達見てんだろ」真ん中を歩く北尾は、そう言って小柄な大沢の肩に右手をまわし顔を近づけた。大沢は首をすくめて「えへへ」と笑い、頷いた。
 安達はテニス部のなかでも一、二を争う美人だ。大沢は安達に惚れている。北尾は大沢の好きな女のタイプはすぐにわかった。
「確かに、安達はきれいだな。お前、頑張ってモノにしろよ」北尾は右手を大沢の首に回したまま左手親指を大沢の目の前にたてた。
「そ、そんなんじゃないよ」と大沢は顔を赤くした。
「嘘つけー」北尾は大沢の後頭部をポンと叩き「安達に惚れてんだろ、バレバレだ」と笑って大沢を突き放した。小柄な大沢はよろけてフェンスにぶつかった。「バカ力だな、ちょっとは加減しろよ」大沢はフェンスにぶつかった右手をさすりながら笑った。
 北尾は大沢を突き放してから、今度は日下の肩に左手を置いた。
「ところで、日下はどんな女がタイプなんだ、教えてくれよ」日下の耳元に顔を近づけた。
「いや、別にそういうのは興味ないよ」日下は下を向いた。
「なーに、顔赤くなってんの、面白くないなぁ。日下、お前も男だろ。好きな女くらいいるだろ。それとも、これか」そう言って右手を立てて口にあてた。
「違うよー」日下はひきつった笑みを浮かべた。
「そういう北尾は誰がタイプなんだよ」大沢が横からさっきの仕返しとばかりに拳で北尾の二の腕をパンチしながら訊いた。
「あっ、あー、俺か? 俺は小柄な娘が好きだな、三田とかな」
「三田かぁー、確かに小柄で可愛いけど、色気ないよな。俺はやっぱり安達みたいなバーンとした胸と、ぷっくりしたお尻が好きだな」大沢は自分の胸とお尻を手でボリュームをつける仕草をしながら目尻を下げた。
「また、鼻の下伸びてるぞ。お前はやっぱりスケベだ。中学の時から変わってない」北尾は大沢の鼻をつまんだ。

 日下が二人と距離をおいて少し前を歩きだした。すると、北尾は、後ろから追いかけた。
「しかし、あれだよな、日下は山脇がいないと何も出来ないよな」北尾が日下の肩に手をおいて笑いながら言った。全く悪気なく軽い気持ちで言った言葉だったが、日下にとっては軽く受けとめることが出来なかったようだ。
「……、そ、そんなことないよ」日下は体を震わせ下を向いて答えた。
「なに、その暗さ。もっと明るくしろよ」北尾は笑ったまま、大きな手で日下の肩をバーンと叩いた。
 日下は顔をしかめた。
「あれ、大丈夫か? 山脇、呼んできてやろうか」大沢も冗談のつもりだった。
「バ、バカにするなよ、山脇なんかいなくても、俺は他の学校に友達がいる」日下はそう言って、二人を置いて走っていった。
「あれっ、怒ったみたいだ」大沢が日下が走る後ろ姿を見ながら呆れるように言った。
「ちょっと言い過ぎたかな」北尾が眉を八の字にして大沢の顔を見た。
「いや、そんなことないと思うけど」大沢は首を傾げた。
 
 その後の日下は北尾や大沢、そして山脇と口をきかなくなってしまった。心を閉ざし、誰とも遊ばなくなってしまった。

 

  母子

「洋輔くん、麻耶さん、ご親族の皆様、本日は本当におめでとうございます。私は新郎洋輔くんと小学校、中学校、高校と共に学び、共に遊んだ大沢彰と申します。洋輔君との思い出は数えきれないのですが……」

 結婚式の友人代表の挨拶が終わり、席に戻ってきた大沢は、フーッと息を吐きながら腰かけた。渇いた喉を潤すためにビールを口にし、目の前に並ぶ料理に視線を落とした。この後はゆっくりとこの豪華な料理が味わえると舌舐めずりした。隣に座る野々村が「お疲れ様、挨拶よかった。ちょっと感動したよ」と声をかけてくれた。野々村は中学校時代、北尾と一緒に遊んだ仲間だ。高校からは有名私立高校に入学し大沢達とはバラバラになった。その後大学院を出て、今は大学教授を目指している。
「サンキュー、でも緊張したわ」大沢は胸に手をあて、まだ早く打つ鼓動をおさえた。
 大沢は隣の野々村とお互いの近況を報告しあい、中学校時代の話題に花を咲かせていた。そこに、北尾の母親の澄子がビール瓶を持ってあらわれた。
「野々村くん、今日は出席してくれてありがとう」そう言って野々村にビールを注いだ。
「お母さん、本日はおめでとうございます」野々村は微笑んだ。
「遠いのにありがとうね」澄子は野々村にそう言って、大沢の方に向きをかえた。
「大沢くん、挨拶ありがとうね。洋輔の学生の頃の事を思い出したわ」にこやかな表情で大沢にビール瓶をむけ、友人代表の挨拶の礼を言った。
「お母さん、おめでとうございます」大沢はビールを飲み干した。
「大沢くん、お仕事は?」
「旅行会社に勤めています」
「あら、そう、大変だけどやりがいあるお仕事ね。大沢くんらしいお仕事だわ。頑張ってね」
「この仕事に決めたのは洋輔くんのアドバイスのおかげなんです」
「洋輔の? へぇー、でも、やっぱり大沢くんの頑張りでしょ。これからは、旅行に行く時は大沢くんにお願いするわ」
「あっ、はい、是非、お待ちしてます。洋輔くんは、消防士の仕事を頑張ってるみたいですね。昔から体力もあったし、人の命を助ける仕事がしたいって言ってましたから、洋輔くんらしい職業だと思います」
「洋輔が『人の命を助けたい』、そんなこと言ってたなんて知らなかったわ。まぁ、洋輔もなんとか仕事頑張ってるみたいだけど、危険な仕事だから心配でね」眉を八の字にした。
「洋輔くんなら大丈夫ですよ」
「大沢くんも旅行会社は大変でしょ。お仕事忙しいのに、今日はありがとう。洋輔ともゆっくり話してやって。あの子、喜ぶと思うわ。じゃあね」そう言って隣のテーブルへ移動していった。
 大沢と野々村は北尾の母親に顔を合わすのは中学生の時以来だった。中学生の頃は二人で北尾の家によく遊びに行った。遊びに行くと、北尾の母親は必ずジュースやお菓子を出してくれた。大沢達はそれが楽しみだった。いつも笑っていて優しい目を向けてくれた。当時は体が大きくて、ふくよかな印象だったが、今見た澄子は昔の印象とは違い小さくて痩せて見えた。自分達が大きくなったせいもあるだろうが、それだけではないだろうと思った。目のまわりの皺も目立っていた。しかし、優しく幸せそうな目は、中学生の時の大沢達に向けてくれたものと変わらなかった。大沢はとりあえず元気そうで良かったなと澄子の顔を見て、入院した日、そして北尾から手術が成功したと聞いた日のことを思い出した。
 北尾のやつ、医者にはなれなかったけど、命を救う仕事には就いてるなと、あまり似合ってるとは思わないタキシード姿の新郎に目を細めた。
「あいつはやっぱり和服だな」と野々村に向かって言った。野々村は笑いながら頷いた。


 新婚生活

「ただいまー」洋輔の声が玄関で響いた。
「おかえりなさい」妻の麻耶が玄関まで走ってきて笑顔で迎えた。
 北尾は二十四時間の勤務を終えて疲れているが、麻耶の顔を見ると、疲れはぶっ飛んでしまう。
 北尾はもう一度「ただいま」と言って麻耶の頬にキスをした。結婚して三ヶ月、北尾が帰宅する日は毎日の儀式になっていた。
「お疲れさま、お腹空いてない?」小柄な麻耶が少し首を傾け、北尾を見上げるように言った。
「大丈夫だ、昼飯までいいよ。それまで、少しゆっくりするわ」大きな手を麻耶の頭に優しく置いた。
「わかった」麻耶は大きな瞳を北尾に向けた。
「うん」北尾はリビングへと向かい麻耶は後ろについた。
 北尾はソファに腰を下ろし伸びをし首を左右に折った。
「あっ、そうそう、昨日お母さんが来たわ」少し言いにくそうだった。
「えっ、また来たの。昨日は俺がいないの知ってるだろ」さっきまでの笑顔がスーっと消え眉間に皺をよせた。
 麻耶が黙って俯いたので北尾は続けた。
「なに言ってきた? また、めしが手抜きだとか言ってきたのか?」
「昨日はそんなこと言わなかったけど」
「けどって? じゃあ何を言ってきたの?」
「洋輔くんの仕事は大変なんだから、もっと栄養のバランスを考えてあげなさいとか、部屋が埃っぽいと病気になるとか、だけど……」
「同じことだ。母ちゃんには俺からいちいち干渉するな、俺のいない時に家に来るなって言っておくわ」ソファを拳で叩いた。
「あたしは、お義母さんが来ても大丈夫だよ。お義母さんも一人で寂しいんだと思うし」
「そりゃ、わかるけど、最近嫌みっぽいんだよな。昔は、こんなことなかったのにな」北尾は頭を掻きむしった。
「洋輔くんをあたしにとられたと思ってるのかな」
「しかたねぇじゃないか。子離れしろよな」
「でも、あたしもこの子が大きくなったら、そうなっちゃうかも」麻耶はそう言って自分のお腹をさすった。
「ヘヘヘ、楽しみだな」北尾の顔が笑顔にもどって、麻耶のお腹に手をやった。
 その時、玄関のチャイムが鳴った。
「おふくろじゃないか? 俺が出る」北尾は玄関へ向かい勢いよくドアを開けた。
「あ、帰ってたの。ご苦労様」ドアを開けた途端、母親の澄子がそう言って入ってきた。
「なに、なんの用?」北尾はつっけんどんに言った。
「何よ、その言い方。いいじゃない息子の顔が見たくなったんだから。それに、あなたにハガキが届いてたから持ってきてあげたのよ」
「じゃあ、ハガキだけ置いてさっさと帰れよ」
 奥から麻耶が慌てて顔を出した。「お義母さん、昨日はありがとうございました。どうぞ、上がっていって下さい」
「洋輔が、ここで帰れって言うのよ、麻耶さん、どう思う? 昔はこんな冷たいこと言わなかったのに」澄子が洋輔を一瞥してから麻耶に視線を向けた。
「い、いえ、どうぞ、お義母さん、せっかくですから上がっていって下さい」
「そう、じゃあ、あがらせてもらいますね」
「フン」北尾は鼻を鳴らし、家に上がってくる澄子を睨んだ。
「お義母さん、今お茶いれますね」
「麻耶さん、気を使わないで、洋輔の言う通りにハガキだけ渡して帰るつもりだから」
「ハガキって何のハガキ?」北尾は不機嫌そうに言った。
「昨日の夜、あなたの高校の同級生だった山脇さんて方から電話があったの。ハガキを送ってから、あなたが結婚して住所が変わったことを大沢くんから聞いたみたいで、そのお詫びの電話をしてきたの。それでね、息子は近くに住んでますから、ハガキが届き次第息子の家に持っていきますので気にしないで下さいって言っておいたのよ。で、今朝ハガキが届いたから持ってきたのよ」
「へぇ、山脇かぁ、懐かしいな。あいつは本当にいい奴だったんだよな。こういう律儀なとこも変わってないな」しみじみと学生時代を思い出すように宙を見て言った。
「電話で少しお話ししたけど、話し方でいい人だとわかったわ。あなたも見習った方がいいわ。あなたは口が悪すぎるから」
「それは言えてるな。山脇は同窓生の中でも、いい人ランキングでトップだったからな。俺とは正反対だ。俺は嫌われものトップだったから。ハハハ」

 澄子は北尾の笑っている顔を見ながら子供の頃のことを思い出していた。乱暴で同級生を怪我させて、友達が出来なかった。同級生から嫌われているんじゃないかと心配でしかたなかった。本当は心の優しい子なのにと悩んでいた。そんな息子が友達を連れてきた時は本当に嬉しかった。息子と遊んでくれる友達にお菓子やジュースを出して感謝の気持ちをこめた。息子と仲良くしてくれてありがとう。これからも息子と仲良くしてね、そんな思いでおやつを出していた。その友達が結婚式に出席してくれた大沢と野々村だった。
 しかし今、息子を選んで結婚してくれた麻耶に対しては、なぜか大沢や野々村に持った感謝の気持ちを持つことが出来ず嫉妬ばかりしてしまっていた。澄子は、昨日山脇と話してい時にそれに気づいた。
「でね、山脇さんもあなたの結婚を喜んでくれてたわ。それでね……」
「えっ、何、かあちゃん、山脇とそんな話までしてたのか」北尾が澄子の話の途中で口をはさんだ。
「えっ、えー、そうなのよ、山脇さんと話してると止まらなくなってね。フフフ」思い出すように笑った
「はぁー」北尾は呆れた様子だった。
「山脇さん、最初あなたを見た時は怖かったらしいわ。でもね大沢くんが北尾はいい奴だから仲良くしようって言ってくれたんだって。やっぱり大沢くんには感謝しかないわ。あなたも大沢くんに感謝しなさいよ」
「わかってるよ、あいつにはすごく感謝してる」
「山脇さんも大沢くんのおかげで北尾くんと仲良く出来て楽しかったです、だって、フフフ、良かったわ」澄子は宙を見ながら微笑んだ。
「山脇は頭はいいし、クラスのまとめ役だったな」北尾も宙に視線をやった。
 麻耶は二人の愉しそうな表情をキョロキョロと何度も見ていた。
「それでね、北尾くんの良さがわかる結婚相手の女性も見る目はあるし、素晴らしい女性でしょうね、だって。フフフ」麻耶の肩に手を置いて麻耶の顔を覗きこんだ。
「ありがとうございます」麻耶は照れながら俯いた。
「麻耶さん、洋輔を選んでくれてありがとう」麻耶に向かって頭を下げた。素直になれた澄子の瞳が大沢と野々村に向けていた時のように優しくなっていた。
「いえ、そ、そんな」麻耶は言葉につまった。
「か、かあちゃん……」北尾も言葉が出なかった。
「はい、これがハガキ」洋輔の前へハガキをすべらせた。
「あっ、ありがとう」
「じゃあ、帰りますね、お邪魔したわね」澄子は立ち上がり玄関へと向かった。
「か、かあちゃん」
「なーに」ドアの前で振り返った。
「いや、さっき、きついこと言って傷つけたな、ごめんな。それからありがとうな」
「あなたに何言われても傷つかないし気にしてないわよ。あなたの優しさは、まだまだ、私の方が麻耶さんよりわかってるからね。じゃあ仲良くね。見送りはここでいいわよ」
「かあちゃん、ありがとう」
「お義母さん、ありがとうございました」北尾と麻耶が二人並んで、澄子を見送った。
 ドアを閉める前にもう一度、優しい目を二人に向けた。

「かあちゃん、今日は優しかったな、どうしたんだろ」北尾は首を傾げた。
「今日が本当のお義母さんだと思う」麻耶はお腹をさすりながら言った。
「そうだよな」北尾はそう言ってハガキに視線を落とした。

《同窓会のご案内》
間中高校15期生の同窓会を催します。
日時 2005年8月21日 17時から
場所 ホテル マナカ
幹事 山脇俊太

「高校の同窓会か」
「参加するの?」麻耶が首を傾けて訊いた。
「行ってもいいか?」洋輔が訊くと
「もちろん」と笑顔が返ってきた。
「仕事の都合がついたら行ってくるわ」
「うん、わかった。結婚式の時、挨拶してくれた大沢さん、あの人も同じ高校だったんでしょ」
「あー、そうだ。大沢は行くのかな。一度連絡してみるわ」

  


  同窓会

 間中高校十五期生同窓会の会場ホテルマナカには、たくさんの同窓生が集まり大盛況のようだ。成績優秀で人気者の山脇が幹事とあって出席者の数は予想以上だった。
 会場のあちらこちらで十年ぶりの再会に声を上げ、各々の近況の報告や昔話に花を咲かせていた。
 山脇の周りには、常に数人の同窓生が集まり、皆が山脇に対し同窓会の幹事を務めてくれたことへの感謝の言葉を口にし、そして労いの言葉をかけた。
「山脇、ありがとうな」北尾もビールを片手に山脇に声をかけた。
「あっ、北尾か、久しぶり。相変わらず体でかいな」山脇はそう言って北尾の大きな背中をトントンと叩いた。
「お前がこの同窓会を企画してくれたおかげで、今日は楽しめてるよ。ほんとありがとうな」
「そう言ってもらえると、やった甲斐があったよ。こちらこそ出席してくれて有難う。結婚したんだってな、おめでとう。それからお母さんにも宜しく伝えておいてくれな」
「おう、ありがとう」
 二人はグラスをコツンと合わせた。
「大沢は、仕事が忙しいみたいだな」会場を見渡しながら言った。
「あー、あいつは仕事で九州に行ってるみたいだ。山脇によろしくって言ってた」
「会いたかったな。あいつの笑った顔は周りを明るくしてくれた。今でも会ってるのか」
「たまーにな。でもお互い仕事が忙しいから、なかなか会えないわ。俺の結婚式で会って以来かな」
「そうか、みんな忙しいんだな。北尾は消防士だろ。忙しいのに参加してくれてありがとう」山脇は目を細めた。

 その様子を日下は離れた所から見ていた。自分もあの中に入ろうか悩んでいたが、入る勇気はなかった。同窓会に出席したものの、受付で名札をもらう時に「あっ、日下くんね」と名前を呼ばれた以外は、誰からも声をかけられることがなかった。そして自分から声をかけることも出来なかった。やっぱり来なければよかったかな、と後悔しはじめていた。
 日下は同窓会に来ているにも関わらず、話し相手もいないまま、ずっと一人でいた。
 誰も話しかけてこないし、やっぱり無職だと、どうも自分から話しかけにくいなと思った。このままさっさと引き上げることに決めて、ビールやワインを飲み、できるだけ高そうな料理をたくさん食べることにした。とりあえず、会費分だけは飲み食いして帰らないとな。ひたすら自分の皿に料理を盛った。
「なんで、こんな情けない人生になったんだろう」料理をとりながら呟いた。

「日下、ひさしぶり」料理を取ることに夢中になっていた日下は、背後から自分の名を呼ぶ声に驚いた。
「えっ」と、日下が振り向くと見知らぬ男が立っていた。男は柔らかい表情を浮かべ右手にビール瓶、左手にグラス持っていた。
「日下とは高校も同じだったんだよな。忘れてたよ」男は柔らかい表情のまま、そう言った。
 日下にはこの男の記憶が全く無かった。
「高校も」ということは、間中高校以外でも、この男といっしょだったということだろうか。日下は頭をグルグル回したが、この男の記憶は全く出てこなかった。
 日下はこの男が誰なのかわからず気味が悪くなった。名前がわかれば思い出すかもしれないと名札を見ようとしたが、グラスを持つ左手が邪魔で見えなかった。
「乾杯しようか」日下はそう言ってテーブルにあったビール瓶を手に取り、その男に向けた。
「あっ、ありがとう」男は日下の方にグラスを向け右の口角だけをあげた。
 日下はビールを注ぎながら名札を確認しようとしたが、ビールを注ぎながら名札を見るのは難しかった。
「じゃあ、乾杯」男が日下に向けてグラスを出した。
 その時に「おぅ、乾杯」と言いながら名札を確認し、やっと見えた。
 名札に『影山』という文字が見えた。名前はわかった。しかし、日下には影山という名前に全く記憶が無かった。名前がわかってもこの男の正体がわからず一段とモヤモヤした気分になってしまった。
「日下は小学校と中学校のイメージが強すぎたよ。勉強が出来て真面目だったイメージしかないよ」男の表情は柔らかかった。
「あっ、そ、そうか」日下は気まずそうに後頭部を右手で擦った。
「日下との高校生活の記憶がない」男はそう言った後、はじめて表情を変えた。さっきまでの柔らかい表情がスーっと消えていき、少しきつく冷たい視線を日下に向けた。そして続けた。
「高校からの日下は本当の日下じゃない」影山の目が一段ときつくなった。
「な、なに、そんなことない。俺はずっと日下だ」
「日下、今話している僕のことが誰だかわからないんだろ?」冷めた口調で言った。
「ご、ごめん、覚えてない」日下の顔色はなくなっていた。
「当然だよ。君は僕のことを捨てたわけだからね」
「捨てた?」日下の眉間に皺が入った。
「そう、君は高校の時、僕を捨てたんだ」
「……?」日下は首を傾げた。
「意味がわからないだろうね」影山は右の口角だけを上げて笑みを浮かべた。
 日下は少し気味が悪くなってきた。この場から立ち去ろうと思った。
「意味わかんねえ、それじゃあ、また……」右手をあげ踵をかえし立ち去ろうとした。
「ダメだ」影山は日下の前にまわりこみ睨みつけた。「今日は君と話をするために来たんだ。絶対に帰すわけにいかない」影山は日下の肩を両手で抑えた。
 春日は影山を睨みかえし肩にのせられた手を払い「俺に何の用があるんだ」と凄んだ。
「ごめん、怒らせたね。ちゃんと説明するから、少しだけ付き合ってくれよ」影山はそう言って、もう一度日下の肩に両手を置いた。今度は優しく、そして笑みを浮かべていた。
「わ、わかった。付き合うよ」日下もひきつりながらだが笑みを浮かべた。
「じゃあ、邪魔が入らないよう、場所を変えよう」
 二人は会場を出て一階のロビーへと向かった。その様子を山脇は祈るような気持ちで見ていた。
 二人はロビーの横にある喫茶スペースで話すことにした。
 ソファに腰かけてから、少し沈黙の時間があった。日下から切り出す気はなかったので、このまま沈黙でもいいと思って煙草に火をつけて紫煙を勢いよく吐き出した。
「少しは落ち着いた?」影山が沈黙を破った。
「いや、べつに」日下は煙草を灰皿に押しつけて影山の笑顔に視線をやった。
「僕が誰なのか気になってるでしょ?」
「まぁな」日下は二本目の煙草に火をつけた。
「僕は、あなたの生霊です」影山は背筋を伸ばし、日下の顔をじっと見た。
「生霊? 何それ?」日下はソファにもたれかかり腕を組んだ。
「僕はあなたが高校の時に捨てた生霊。そうあなたが山脇や他の友達に対して持っていた感謝の気持ち、お互いライバルと思って頑張っていた向上心の生霊なんです。あなたは、ある時から、僕の存在が面倒になって捨てたんです。覚えていませんか」
「……」日下はソファにもたれ腕を組んだまま目を閉じた。
 日下には思い当たることがあった。山脇とは仲がよく、彼の存在が自分にとってプラスになっていると感じていた。山脇がいるから、負けたくないと頑張れたし、山脇がいてくれるおかげで楽しいと思っていた。しかし、いつからか山脇の存在が鬱陶しく感じはじめた。山脇に対する嫉妬のようなものが生まれ、逃げ出したくなった。そして、その時に全てを捨てたくなった。
「なんとなく記憶はある」日下は目を開けて影山の目を見た。
「そうでしょ。あの時からあなたは誰とも関わらないようになって、人に感謝しないで、向上心も失っていったんです。その失ったものが僕です。だから、今日僕はあなたの元に戻ろうとやって来たんです」
「戻ってくる?」
「そう、今しかないんです。あなたは、今、何もかもうまくいかなくなって、後悔しはじめていますよね。この同窓会でみんなの顔を見て、それを強く感じています。今からやり直せば、あなたはきっとうまくいきます。これからやり直せます。今、僕を受け入れて下さい」
「この同窓会は、山脇が幹事だけど、これと関係あるのか?」
「僕が山脇にお願いしました。事情を説明したら山脇もわかってくれました。山脇もあなたが自分を避けるようになっていたことに傷ついています。この同窓会を開催することで、あなたが昔の日下に戻れってくれるなら協力すると、幹事を引き受けてくれました」
「うーん、……」しばらく言葉がでなかった。
 日下は目を閉じて昔のことを思い出していた。山脇や遠井と遊んだ頃、運動が苦手で山脇と慰めあった頃、山脇と成績を競いあった頃、北尾や大沢を紹介してもらった頃、そんな思い出が走馬灯のように駆け巡った。
 目を開けてフーと長い息を吐いた。
「わかった。俺も後悔してた。今からでもやり直したい」
「そうですか、有難うございます。それでは今から、僕はあなたの元に戻ります。いいですね」
「あぁ」



 墓参り

「幸輝、婆ちゃんに線香あげようか」
「わかった」小学生にしては体の大きい幸輝はお墓に線香をあげ手を合わせた。
「かあちゃん。幸輝も来年には中学生です。俺とは違って、真面目な中学生になりそうです。そう思うと、俺は母ちゃんに心配ばかりかけてたんだろうなと反省します。母ちゃんありがとう」北尾も墓に手を合わせていた。
「お義母さん、新婚当時に、食をおろそかにしてはダメ、食が体を作ると教えてもらったおかげで、あたしも食事には気をつかうようになり洋輔さんも幸輝も大きな病気もせずに元気に過ごせています。ありがとうございました。これからもお義母さん、天国で見守っていて下さい」麻耶も手を合わせた。

「よーし、帰ろうか。墓も綺麗になったし、幸輝が来たから、かあちゃん天国で喜んでるだろう」北尾が墓を見てから空を見上げた。青い空に浮かぶ雲を見て、ふくよかだった頃の母親を思い出した。
 
 自宅マンションに着いて、エレベーターを待っている間に「ちょっとポスト見てくる」と麻耶がポストに向かった。
「おー」北尾と幸輝はエレベーターの前で待った。
「あなた、これ」ポストから戻ってきた麻耶がそう言ってハガキを差し出した。
「なんのハガキだ」北尾はハガキを受け取った。
《同窓会のご案内》と書いてあった。
「おっ、同窓会の案内だ」と言ってエレベーターに乗り込んだ。


 惑わず

 山脇の休日は息子の優翔の少年野球に付き合って、朝早くから出かけることが多い。この日も試合があるので応援に出かけた。しかし、優翔の出番はなく、ベンチから声をあげるだけで、試合も負けてしまった。まだ小学校三年生だから、これから野球がうまくなってくれるだろうと、これからに期待した。いつも優翔に野球を教えてくれている義弟に似てくれれば楽しみだと思うが、自分が運動音痴なので、息子にあまり期待してやるのも可哀想だ、野球を楽しんでくれればそれでいい。義弟もそう言っていた。
「優翔、お疲れ。試合残念だったな」
「お父さん、応援有難う。僕、もっと野球がうまくなって、試合に出られるようになるから。叔父さんみたいにうまくなるから」
「優翔の活躍する姿を楽しみにしてるけど、優翔が楽しんでいれば、父さんはそれで充分だ」
「うん、今は野球が楽しくてしかたない」
「そうか、それならいい。優翔に野球を教えてくれた叔父さんもお母さんもきっと喜ぶよ。帰ってお母さんに報告しようか」
「うん」優翔はグローブに手を入れてパンパンと叩いた。
 中学の頃の義弟を思い出す。

「ただいま」
「おかえりなさい。試合はどうだった?」
「残念ながら、負けちゃったわ。優翔の出番も無かったしな」
「そう、優翔はまだ小さいから、これからよ」
「今日、店は?」
「夕方までは美和さんに、お願いしてる」
「そうか、じゃあ安心だな」
「はい、珈琲とあなたの好きな焼き菓子」
「ありがとう」
「あっ、そうそう、あなたにハガキが来てたわよ。同窓会の案内みたい」
「同窓会の?」山脇はハガキに視線を落とした。



 《間中高校十五期生の皆さんへ》

 間中高校十五期生の皆さん、お元気ですか? 私たち十五期生も四十才になります。
「四十にして惑わず」といいますが、惑わずに生きていますか? 
 まだまだ人生に迷っている人も多いかもしれません。私もまだまだ迷ってます。
 迷ってる時、昔の仲間に会うと、勇気や希望をもらえるものです。
 私は、そう信じて、この度同窓会を開催しようと決めました。
 私も人生に迷っている時期に開催してくれた同窓会のおかげで前を向いて進めるようになった気がしています。
 四十才から、さらに前に進む活力を皆さんと分かち合いたいと思っています。たくさんの人の参加お待ちしております。

 山脇は幹事の名前を見て絶対に出席しようと思った。

《同窓会のご案内》
間中高校15期生の同窓会を催します。
日時 2017年8月20日 17時から
場所 ホテル マナカ
幹事 日下光治
 




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