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アスペルガーな笑顔

2018.03.13 17:04

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私には優太という息子がいる。優太は15年前にアスペルガー症候群と診断された。その当時の私は、アスペルガー症候群のことを全く知らず、はじめて耳にする言葉に恐怖のようなものを感じた。
 診断された時、優太はどうなるんだろうか、ちゃんと生活が出来るのだろうか、そんな不安ばかりが頭をよぎった。
 優太が、アスペルガー症候群と診断されてから、それについて調べてみたが、未だによく理解出来ていない。
 何故、理解出来ていないのか。それは、調べてもわからない事が多すぎるし、こうすれば良いというものも、無さそうな気がしたので調べるのをやめてしまったからだ。

 しかし、一番の理由は、アスペルガー症候群は、優太の個性であって障害ではない。だから、特別に考える必要はないんだ、そう思いたかったからだ。


結婚

 20年前の私は、結婚願望というものが、ほとんどなく、自分に子供ができることなど、想像もしていなかった。
 仕事が生き甲斐と思っていたが、今思えば、生き甲斐というほどの仕事をしていたわけではなく、成果を出したい、人に負けたくない、誰かに認められたい、そんな自己中心的な、ちっぽけな欲を持っていただけだった。

 妻の美由紀とは、職場で知り合い、付き合うようになった。付き合って2年が過ぎようとした頃、美由紀の口から初めて結婚という言葉が出た。
 1日中、部屋で過ごした日のことだった。
 そろそろ美由紀を自宅へ送ろうかと思っていた時に、美由紀が、急にテレビのリモコンをOFFにした。
 私が美由紀の顔を見ると、美由紀は、いつもの目尻を下げた目ではなく、鋭い視線を向けてきた。
「幸二さん、私達そろそろ結婚を考えてもいいんじゃないの」
 いつもの幸ちゃんという呼び方ではなかった。
「結婚っ、考えてなかったな」
「えーっ、考えてないの、じゃあ、何であたしと付き合ってるのよ。あたしのこと好きじゃないの」
「いや、そんなことないけど、結婚を考えてなかっただけだよ」
「この先、どうするのか、真剣に考えてほしいんだけど」
 美由紀は、話している間、私の目をじっと見て、そらすことはなかった。
 その日以来、私は結婚について、前向きに真剣に考えるようになっていた。
 そして1年後、松井美由紀は、高田美由紀になった。
 私の結婚を一番喜んだのは、私の母親だったようだ。
 母親は、私が30歳を過ぎても、結婚を急かすこともなかったので、私の結婚には、興味がないのだと思っていた。
 しかし、本当はすごく心配していたようだ。
 美由紀の手を握り「息子を選んでくれてありがとう」と何度も言っていたそうだ。当時、そう言っていた母親の気持ちが理解出来なかったが、自分に子供ができた今は、なんとなく理解ができる。


転職

 結婚してから、生活が大きく変わった。結婚したことで変わったこともあるのだが、他にも大きな出来事があった。
 結婚して半年後に、当時、働いていた会社が倒産してしまった。寝る間を惜しんで働いていたが、あっさりと職を失うことになってしまった。
 私は、思ったほどショックはなく、解放感の方が強かった。美由紀も将来のことを不安に思っている様子はなかった。
「幸ちゃん、お疲れ様でした。すぐに働かなくていいから、少しゆっくりした方がいいんじゃない」
「うーん、そうだけど、落ち着かないんだ。ちゃんと再就職出来るか、不安なんだよな」
「大丈夫よ、少し休んだ方が、良い仕事が見つかる気がするから」
 普段は、私の方が楽観的だが、この時は、逆だった。
「とりあえず、就職情報誌でも見ながら、あせらず、ゆっくり探すわ」
 美由紀の言葉に甘えて、半年ほど仕事に就かなかった。2人で旅行にも行った。
 この半年間は、私の人生で大切な期間になった。それまでは、がむしゃらに仕事をやるべきだと洗脳されていた。いや、自分で自分を洗脳していたのだろう。 それがリセットされて、新たな価値観を持つことが出来る期間になった。
 ゆっくりと焦らずに職を探したおかげだろうか、社風の良い会社に就職することが出来、美由紀と過ごす時間も取れた。
「あの時、倒産してなかったら、この子はいなかっただろうね」
 美由紀は、優太の写真を見ながら、よく口にするが、確かに、と思う。

誕生

 結婚して2年が経った頃だった。
「そろそろ子供がほしいと思わない」
 美由紀が私の顔を覗きこんだ。
「ああ」私は、そう声を洩らした。
「実はできたかもしれないの。病院までついてきてくれる」
「えっ」
 嬉しいというより驚いた。嬉しいという感情は、病院で結果を聞いてから出てきた。
「8週目、7月の予定だって」
 美由紀はいつも以上に目尻を下げていたが、瞳はいつもより輝いていた。
「これからお祝いに美味しい物でも食べに行こうか」
 めずらしく、私から誘った。
「いいねぇ」
 美由紀は、そう言って私の肘を揺らした。
 病院を出たら、外は真っ暗だった。私はダウンジャケットのチャックを首まであげ、美由紀はマフラーをまいた。
「日が短くなったな。そろそろ鍋の季節だし、ちゃんこ鍋にしようか」
「うん、栄養もつきそうだしね」
「来年の夏には、生まれてるんだな」
「そうね、来年の今頃は、あたし達に子供がいるのね。信じられないね」
 そんな会話をしながら、ちゃんこ鍋の店へと向かった。美由紀はいつもより、強い力で、腕を組んできた。そして、私の顔を見上げた。
「お父さんだねぇ」
 目尻を下げながら言った。
 空を眺めると、星数は少なかったが三日月が見えた。
 三日月が赤ちゃんの笑っている口のように思えた。

 妊娠や出産に無知な私は、妊娠した美由紀をどうフォローして良いかわからなかった。
 もちろん、美由紀の前でタバコは吸わなくなったが、それ以外の場所では吸っていた。
「禁煙してしまったらいいのに」美由紀からは、そう言われた。
 家事をしたり、重たいものを持ったりしても大丈夫なのだろうかと、美由紀が家事をする姿を見ながら心配はしていた。しかし、何を手伝えばいいのかわからず、見ているだけで手伝うことは、あまりしなかった。
 男って、役に立たないもんだなと思った。



「この子、幸ちゃんに似て、寝相悪いと思うわ」
 美由紀が、大きくなったお腹をさすりながら言った。
「なんで」
「めちゃくちゃ、お腹蹴るからね」
「俺の寝相は、悪くないだろ」
「えーっ、自覚ないの」
「いや、まあ、あるけど。子供の寝相も悪かったら、美由紀は大変だな」
「ほんと、大変よ。あたし、ゆっくり眠れないかもしれない」
「子供が生まれるまでに、俺の寝相は直しとくよ」
「そんなの無理に決まってる。大丈夫、それはそれで楽しそうだから」
 美由紀は、またお腹をさすった。


「名前決めないといけないね」
「優しくてたくましい名前がいいな」
「字画も考えないといけないと思って、本買ってきたよ」
 美由紀がテーブルの上に、本をポンと置いて、私の顔を、いたずらっぽく見た。
「えっ、字画なんか考えるのか」
「当たり前よ、この子の一生のことなんだから」
「俺が考えるのか」
「当たり前でしょ、お父さんなんだから」

 蝉が鳴き始め、夏らしくなった日だった。その日の夕食後、美由紀が苦しそうにしていた。
「陣痛が始まってきたから、病院まで連れていってくれる」
「えっ、あーぁ、わ、わかった」
 次の日が優太の誕生日になった。


 美由紀と優太は、日差しの強い夏らしい日に退院してきた。自宅に来た新しい家族を、恐る恐る抱っこした。
 もし、あの日、美由紀が結婚という言葉を口にしていなかったら、もし、会社が倒産して半年間休んでいなかったら、こいつに会えなかったんだろうな、と思いながら、ほっぺを恐る恐る触ってみた。
「可愛いでしょ」美由紀が覗きこんできた。
「お疲れさま、ありがとうな。これから幸せにするな」
 普段、使い慣れない言葉に少し照れてしまった。
 美由紀は「当たり前よ」と言って目尻を下げた。


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